校長室から

明るい希望の灯をともす

2019年12月13日 09時46分

2000年1月15日の愛媛新聞に掲載された特集記事「ふるさと20世紀」の中に、次のような文章があります。

「“文明の灯”の電灯が県内で最初にともったのは1903(明治36)年1月、松山市でのこと。

(中略)同市末町の石手川に建設した湯山発電所から約2300灯へ送電された。

(中略)四国初の水力発電所となった湯山発電所には京都大学の教授が学生を連れて見学に来たほど。

(中略)文明の先端を行く施設に思え、地元として誇らしかった。」

 そういえば、湯山小学校の校歌には、次のような一節があります。

「道後平野に水そそぎ 明るい希望の灯をともす」

湯山小学校で学んだ子供たち一人ひとりが「明るい希望の灯」となって、

やがて、 松山、さらには日本や世界の人々の心を照らすことを願っています。

 

ちなみに、当時の発電機は、今、愛媛県総合科学博物館に展示されているそうです。
また、湯山発電所は、往時の姿はないものの、今でも電力を供給し続けています。